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更新日:2023年4月1日
霧島警察署主催による交通死亡事故現場診断が9月24日、霧島市国分広瀬一丁目において、地元公民館長・自治会長、自治体関係者、道路管理者、交通安全協会等の関係機関・団体を交えて開催されました。
参加者は、9月14日に発生した霧島市国分広瀬一丁目の国道10号線において、軽自動車を運転していた女性が路外施設から左折進出する際、国道を進行して来た普通乗用車と正面衝突し、死亡した事故現場を視察後、広瀬ふれあい館に移動して検討会を行いました。
検討会では、ドライバーへの安全運転の意識付け、国道に進入する際の安全確認の徹底、高齢者に対する交通安全の声掛けの推進などが有効である等の意見が出されました。
ゆ旅帳を片手に市内63の温泉施設を巡る「第2弾きりしまゆ旅」の初代・2代目横綱の認定式が18日、牧園町の温泉市場湯けむりの里でありました。
初代・2代目横綱に認定されたのは鹿児島市の鮫島覚(さとる)さん(48)、溶順(よんすん)さん(58)夫妻。徳重観光協会会長らによる横綱審議会(ゆ旅帳のスタンプ確認)が行われ、認定証と横綱の証・前掛けが贈呈されました。
覚さんは「初代・2代目の温泉横綱に認定されてうれしいです。夫婦そろって温泉大好き。霧島市の温泉は泉質も豊富で、高級な宿まで立ち寄り湯できるのがいいですね」と喜んでいました。
9月21日から30日までの「秋の全国交通安全運動」に伴う「霧島セーフティウェーブ作戦」の出発式を9月18日に霧島市民会館ロビーにて行いました。
出発式では霧島警察署長と霧島市長のあいさつが行われ、出発式後は、これ以上死亡事故を発生させないまちづくりを広く市民の皆さんに呼び掛けるため、霧島警察署、霧島市役所、交通安全協会、陸上自衛隊国分駐屯地、安全運転管理協議会会員などの皆さんで県道60号線での街頭立哨を実施しました。
雨が降る悪天候にもかかわらず、参加された皆さんが、それぞれ一人ずつ交通安全のぼり旗を持って県道の両側の歩道に立ち、ドライバーや歩行者の皆さんに、交通事故のないあんしん・あんぜんなまちづくりをアピールしました。
なんぎんエコカップ第12回KFAビーチサッカー大会が9月5日、6日にかけて、国分キャンプ海水浴場であり、大勢の選手と見物客でにぎわいました。
大会は12歳以下、15歳以下、それ以上の年齢の男女ミックスと一般の4区分で開催。県内の小中学生やサッカー愛好者ら延べ371人、41チームが参加し、霧島市からは8チームが参加しました。県サッカー協会事業委員会の坂下晴彦さん(43)が「広い砂浜と桜島を臨む抜群の景色で競技できるのが今大会の魅力」と話すように、大会は第2回から同地で開催。選手たちは、白い砂浜で懸命にボールを追いかけていました。
国分南サッカースポーツ少年団の八木敦志(たいし)くん(12)は「ビーチサッカーは初めて。砂に足をとられて難しかったけど、いつもと違う風景でできて楽しかった」と喜んでいました。
隼人町の伝統行事「隼人浜下り」のルーツをたどるシンポジウムが9月5日、市民会館で行われました。隼人浜下りは、大和朝廷への反乱で亡くなった隼人族の霊を慰めるために、「放生会すべし(捕らえた生き物を山野や川海に放つ儀式)」という宇佐八幡宮(大分県)の神託により西暦720年から始まったとされています。
隼人族の抗戦や放生会の始まりについての自作の映画上映、鹿児島国際大学講師の中村明藏(あきぞう)先生の基調講演や専門家によるパネルディスカッションなどが行われ、参加者は熱心に聞き入っていました。
9月3日、鹿児島県庁で開催された、平成27年度鹿児島県「くらし安全・安心」県民大会において、防犯功労団体の部で「うぶすなパトロール隊」が表彰されました。
「うぶすなパトロール隊」は、平成17年7月に霧島市国分上小川地区の住民で結成され、霧島市国分上小川地区全域において、各種犯罪発生の未然防止を目的とした防犯パトロールに尽力している団体であり、児童の登校時間帯は、毎日天候にかかわらず、児童に対する見守り活動を実施しています。
児童の下校時間帯には、散歩などの日常生活を通じて、児童に対する声掛け事案や、各種犯罪の未然防止を目的として、地域の皆さんが一帯となってパトロール活動を行っており、これらの功績が認められ表彰されました。
「あんしん・あんぜんなまち 霧島市」へ向けて、隊員の皆さんのこれからのご活躍を期待します。
県学童選手権水泳競技大会が7月26日、鹿児島市であり、横川小6年の福地啓太さん(11)が平泳ぎの50mと100mの2種目で優勝。報告のため9月1日、霧島市役所を訪れました。
福地さんは小学1年から横川水泳スポーツ少年団で週に3回、2時間ずつ練習を重ね、5年生のときに平泳ぎに転向。自分で録画した金メダリストのフォームなどを研究しながら、力を伸ばしてきました。
福地さんは「優勝はうれしかったけど、全国や九州大会出場への標準記録に届かず悔しい思いが強い。これからも練習を続けて、5年後の鹿児島国体を目指したいです。将来の夢はオリンピックに出て、霧島市を有名にすること」と話しました。
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