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更新日:2024年3月18日

民俗芸能紹介【隼人】

  1. 小浜の太鼓踊り
  2. 小浜の棒踊り
  3. 松永米作り踊り
  4. 十八日の馬
  5. 川尻琉球人踊り

1.小浜の太鼓踊り

疫病コレラが大流行していた江戸時代、念仏踊りが町中をねり歩いたところ猛威を振るったこの疫病が下火となってついに終息しました。江戸に伺候していた義弘公がこの様子を見て、家臣に命じこの踊りの服装おどり方などを調査習得させて帰郷しました。

凱旋祝いに適した演出・振り付けを工夫するとともに、集落民への普及浸透が図られ、次第に集落から地域へと広がっていったといわれています。

鉦打4人、ホタ振り1人(総指揮の格)、太鼓若干名(内頭6名他十数名)、小鉦打若干名(3才~6才の子供)、役員・主頭4名、肝煎(世話係)の20名前後の踊り手で構成されています。

小浜の太鼓踊りは古老の話によると江戸時代・明治・大正・昭和初期までは、多くの催しに参加していたということです。

また、加治木の踊りが仮屋馬場であったように姶良東部は主として国分舞鶴城(国分小・国分高前)の馬場で実施されていたようです。

細かな技術と多くの道具を必要とする太鼓踊りはむかし、鉦打、ホタ振り、太鼓等それぞれ一家親族で継承保存してきたようですが、現在では地域をあげて保存伝承に努めています。

昔は、旧暦8月16日に開催されていたようです。

小浜の太鼓踊り写真

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2.小浜の棒踊り

小浜の「棒おどり」は五穀豊穣を願う伝統芸能です。江戸時代頃から小浜地区で行われています。昔は旧暦の2月19日に早鈴神社の春祭りの日に奉納されていたようですが、現在は踊り手(児童生徒)の都合にあわせて、毎年3月早鈴神社に奉納しています。

現在の小浜の棒踊りは化粧をして、頭に白の鉢巻き、かすりの着物に腹帯を締め、その上に黄色と赤色の帯を交差させ脇を純白の長いたすきでしめた踊り手が、各地区の長老達の田唄に合わせて、六尺棒と三尺棒を激しく(集落によっては六尺棒のみ使用)打ち合わせ勇壮に踊るのが特徴です。

小浜の棒おどりは、素朴で質素な小浜の農民の根性を表現したものだと言われています。

現在、奉納されている踊りは、埒、里、長浜、加納内の4地区、それぞれ田植えから収穫までを表現した踊りです。

踊り手は、男性。年齢は集落の事情により異なります。小学3年生から踊るところもあれば、中・高校生からという集落もあります。集落により、1組4名もしくは6名で踊り手を編成し、倍数で集落の踊り手を構成します。

小浜の棒踊り写真

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3.松永米作り踊り

この踊りは、昔のコメ作りの作業風景を素材に創作したユーモアあふれるパントマイム(無言劇)の寸劇です。町内外の各種行事・催し・イベントに大人気です。

田んぼの代掻きから苗作り、田植え、草取り、稲刈り、脱穀・・・と、全部で20場面から構成されています。いずれもハンヤ節をバックに軽快な踊りで演出されています。『がんずめうっ』と題された草取りの場面では、ヒルに見立てた黒いビニールテープをふくらはぎやふとももから引き離すなど、細かいところにも気を配っています。

現在、メンバーは野間口会長をはじめ、松永・下平地区の40歳代から70歳までの主婦12人です。「今でこそ米作りは楽になりましたが、昔の苦労は大変なものでした。昔ながらの米作りの過程を後世に残そう」とみなさん一生懸命です。

松永米作り踊り写真

お問い合わせ

教育部社会教育課文化財グループ

〒899-4394鹿児島県霧島市国分中央三丁目45番1号

電話番号:0995-64-0708

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