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更新日:2024年5月22日
この棒踊りは、明治時代の末ごろ、加治木の太鼓踊りを見て校区内に広めたものといわれています。日中戦争や太平洋戦争で一時途切れてしまいましたが、終戦後に復活し、昭和34年の三体小学校の校舎落成式で踊られました。
その後、再び途切れてしまいましたが、昭和52年に校区公民館活動が始まり、農村振興運動の拠点に校区が指定された機会に再度復活しました。三体小学校体育館の落成式で披露された後、町民祭、敬老会、生活改善センター落成式等でも披露されています。
後継者が少なくなったので、三体棒踊り保存会を作り、小学校児童を中心にして夏祭りや小学校の運動会で踊り続けています。
明治20年ごろから始まったといわれています。昭和15~16年ごろまでは毎年、盆や神社の祭典、干ばつの折など大きな行事の時には必ず踊りが披露されていましたが、太平洋戦争以降中断してしまいました。
しかし、水神や祖先の霊を祭り慰めるため、または、稲の害虫や大水の害をのがれることを願って、昭和23年に復活しました。
平成になったころから踊り手も少なくなり、装備も古くなってきたので後援会を結成し、後継者の募集や活動費募集などに努力してきました。現在は小学校の児童を中心にして、秋季大運動会や記念行事などで発表しています。
霧島市牧園町三体堂にある飯富神社で毎年春分の日に行われます。五穀豊穣を祈願するお田植え祭のなかで行われる農耕劇です。
農民である稲造と、その父親(テチョ)が親子喧嘩をしながら暴れ牛を引いて田植えを行う様子を、面白おかしい台詞や滑稽なしぐさで表現する寸劇です。
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