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更新日:2024年5月10日
旧田中家別邸は、田中省三が郷里の福山に建てた別荘です。昭和50年3月に旧福山町で庭園が町の文化財に指定され、別邸は平成18年4月に「旧田中家別邸 附 棟札一枚」という名称で県の有形文化財(建造物)に指定されました。
敷地は、約1,320坪あり、庭園は池水式庭園で別邸の東南に位置し、灯籠や樹木それに巨石を並べたすばらしいものです。
別邸は、「座敷と次の間」「洋間」「居住部分」「台所」「蔵」の5つの部分から構成され、座敷と次の間は東南に面し、桜島を眺望できる空間になっています。
洋間の天井中央に設けたシャンデリア上の飾り、大理石使用のマントルピース(暖炉の上の飾り棚)、漆喰飾り等の室内装飾は、県内ではあまり見られない貴重な作りとなっています。
別邸
庭園
福山町佳例川の城ヶ尾遺跡から縄文時代早期後葉(約7,500年前)の深鉢形土器1点と壷形土器3点が完形に近い状態で、また口縁部を上にして直立した状態で出土しました。
これらの土器は、製作された後さらに熱を受けて埋設されていること、遺跡内で一番高い場所から出土したことなどから、祭祀的な行為との関連性も考えられます。
当時の人々の観念・思想などの精神文化を知るうえで貴重な資料です。
深鉢形土器 |
壷形土器 |
壷形土器 |
壷形土器 |
宮浦宮境内に並び立つイチョウは、神武天皇ご東征前の仮の宮居であったことを記念して植えられたと伝えられています。
昭和39年6月に鹿児島県の天然記念物に指定されました。
向かって右の木は,寛政3年(1791)の大火で火傷を受け、左の木には、明治10年戦役で小島から官軍の砲弾を受け、幹に弾痕が見られます。
右側が樹高38m、幹周り7.55m、左側が樹高38.6m、幹周り7.6m、共に樹齢千年以上といわれています。
春先には、樹幹に若葉を付け、秋は黄葉、初冬になると境内が黄色のじゅうたんを敷きつめたようになり風情があります。
宮浦宮は、島津氏の高き崇拝を受けた社でした。この鎧は、島津氏が奉納されたもので江戸中期200年以上前のものであることが推察される革製です。
霧島市福山は、島津氏の牧があった土地としても知られており、馬追の役人が着用していたものではないかと考えられます。
卵塔群は、旧福山小学校の山手側にあった島津忠将の菩提寺「大安寺」の歴代僧の墓石群です。
大安寺の開山は、天文元年で高山邑(高山町)にありましたが、第二世包山樹心和尚が、福山の大廻りに移しました。永禄4年(1561)7月、仁田尾城(廻城)の島津氏と肝付氏の攻防戦において島津馬頭忠将が戦死しました。その後、今の地に寺を移し位牌を安置しました。
忠将の法号「大安」の二字を寺号とし、山号を永奉と改め、忠将と共に戦死した従臣57名の位牌も安置して冥福を祈る所としました。
現在、包山樹心和尚以来文政5年の18代和尚までの墓石が並んでいます。
霧島市福山は、昔からみかんの産地として有名でしたが、その歴史は小みかん栽培に端を発するものでした。
5月頃に花が咲き、7月頃にはたくさんの実をつけます。実を大きく育てるために摘果をし、50%ぐらいの実を残します。11月頃になると色づき12月頃から収穫が始まり、約400~500キロの収穫があります。
小みかんは、温州みかんより味も香りも高く、糖度は14度~15度ぐらいあります。皮は干して薬味に使われます。
毎年5月頃になると、うす紫色蝶形の花びらが棚からしたたり落ちるように咲き乱れます。幹の周りは1.15mもあり、樹齢80年以上と言われています。
羽山神社境内にそびえる杉は、樹齢250年余りと推定され、幹の周りが6mを超えるものもあります。神社創建当時植樹されたもので、昭和50年4本が旧福山町の文化財として指定されましたが、その後台風の被害を受け現在では、2本が神木として由緒あるたたずまいを見せています。
幹周り4.27mの巨木です。ブナ科に属します。
イヌマキとともに福山町飯富神社の神木としてそびえたっています。
幹周り4.8mの巨木です。マキ科に属します。
イチイガシとともに福山町飯富神社の神木としてそびえたっています。
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