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更新日:2024年10月17日
国立公園「霧島」が、本年3月16日で指定90周年を迎えます。
昭和9年に日本で最初に指定された国立公園の一つである霧島国立公園。昭和39年には錦江湾国定公園と屋久島地域が編入され、霧島屋久国立公園に改称されました。その後、平成24年に屋久島国立公園が分割され、霧島錦江湾国立公園として今に至ります。
これまでは周年行事として関係者が集まり、記念式典などを開いてきましたが、90周年を一過性のもので終わらせないよう、さまざまなイベントに90周年の冠をつけて開催し、広くPRしていく予定です。今月に開催される第28回龍馬ハネムーンウオークでも、90周年記念コースを開設します。
今も活動を続ける火山と、温泉や食などの恵み、壮大な歴史と神話に彩られた霧島錦江湾国立公園。この地に住む私たちは、そのことを誇りに思い、観光などの産業にも生かしていくことが大切です。たまには、雄大な自然を感じられる山歩きなどいかがでしょう。
新年は、能登半島地震という悲惨なニュースで始まりました。亡くなられた方のご冥福をお祈りしますとともに、被災された全ての皆さまにお見舞い申し上げます。本市においても義援金の受け付けや避難先としての市営住宅を確保し、職員派遣・物資の提供については、要請があり次第いつでも手配できる状況です。市民の皆さまのご理解、ご協力をお願いいたします。
そんな中、1月に都道府県対抗駅伝が開催されました。女子では本市出身の小倉選手、堂園選手、舞鶴中学校の橘選手、男子では国分南中学校の郡山選手が鹿児島県チームの一員として力走。さらに注目すべきは、今号で紹介している中村選手が、出身地である石川県チームのふるさと選手として3区を走ったことです。急な要請にもかかわらず、大会史上初の40代ランナーとして走る姿は、ふるさとの多くの人に勇気を届けたのではないでしょうか。
地区対抗女子駅伝や県下一周駅伝、いつも感動を与えてくれる駅伝が今年も楽しみです。
霧島関が、九州場所で自身2度目となる優勝を飾りました。大関昇進後、けがなどの影響でかど番に立つなど厳しい時期もありましたが、それを乗り越えての優勝。大関霧島の優勝は32年ぶりで、前回の優勝は言うまでもなく先代霧島、今の陸奥親方です。来年4月に定年を迎える親方にとって定年前最後の九州場所で、まな弟子の霧島関が優勝とは、最高にドラマチックな結果になったのではないでしょうか。
もちろん、これで終わりではありません。今月開催される初場所では、綱取りが懸かります。親方が果たせなかった夢を、ぜひ霧島関にかなえていただきたいと思います。
多彩な相撲が取れて型がないといわれることもある霧島関。一次産業から三次産業まで全てが強みの霧島市の姿と重なります。初場所では、この好機に乗って再び、霧島市と関平鉱泉をPRするべく懸賞旗を出す予定です。
横綱を目指す霧島関のように、霧島市も精進する一年になれるよう頑張ります。
吉松駅で開催された、JR肥薩線開業120周年記念式典に参加しました。同日にイベントが開催された指宿枕崎線が60周年でしたので、その歴史の重みを感じます。
しかし近年は利用客が減少し、九州内の全221路線59区間のうち、1日の平均利用者数が千人未満の10路線12区間の一つとなっています。そういった現状を打開すべく、大隅横川駅や嘉例川駅など沿線の駅や地域で、さまざまな取り組みが行われています。
市でも地域公共交通を守るため、先月から実証運行が始まったきりしまMワゴンやはやと循環ワゴン、デマンド交通やふれあいバスなど、さまざまな事業を進めています。しかしながら、より高い効果を発揮するためには肥薩線などの在来線が存在してこそ。
今後もJR九州や県など、関係機関との連携を深めながら、肥薩線の利用促進に努めていきます。歴史と自然を感じられる肥薩線を未来につなぐためにも、多くの皆さまに利用いただければ幸いです。
3年延期となり本県では51年ぶりに開催されたかごしま国体も、無事に終了しました。市内で開催された全ての競技・会場を回り、観戦や応援、表彰など、まさにスポーツ一色の期間を過ごしました。
併せて開催期間中の私の大きな役目は、来鹿される皇族の応対でした。天皇・皇后両陛下の空港でのお出迎え、お見送りをはじめ、瑤子女王殿下、彬子女王殿下、高円宮妃殿下、佳子内親王殿下のお出迎え、お見送り、競技会場や御視察先での御案内など、空港所在地の重みを改めて実感しました。天皇皇后両陛下の空港でのお見送りの際には、思っていた以上にお声をかけていただき、緊張でスーツの下は冷や汗が流れていました。
各会場で多くの方から、素晴らしい大会でした、とお褒めの言葉をいただきました。ボランティアをはじめ、大会の運営にご協力いただいた全ての皆さまに感謝いたします。かごしま大会と合わせて、多くの霧島市ファンが生まれたものと思います。
3年間延期となっていた「燃ゆる感動かごしま国体・かごしま大会」がいよいよ開催となりました。
霧島市では、すでに開催されたデモンストレーションスポーツ2競技のほか、会期前競技のゴルフを含む正式競技6競技、公開競技1競技、全国障害者スポーツ大会正式競技1競技の計8競技が行われます。
本県での開催は昭和47年の太陽国体以来、51年ぶり。スポーツ基本法の改正により、来年からは国民体育大会の名称が国民スポーツ大会になり、「国体」として行われるのは今大会が最後です。また、全国障害者スポーツ大会は、本県では初の開催となります。
先日はゴルフ競技の開会式ともいえる監督会議に出席し、歓迎のあいさつを申し上げました。ありがたいことに、多くの市民の方から会場や空港でのボランティアに参加してきたなどの話を伺います。
コロナの5類引き下げ後に行われる一大イベント。思い出に残る素晴らしい大会となるよう、それぞれの立場で楽しみましょう。
霧島市出身の大相撲力士といえば、陸奥(みちのく)親方(元大関霧島)を思い浮かべる人は多いのではないでしょうか。四股名の「霧島」を、5月に大関昇進を決めた霧馬山が受け継ぎました。
自治体名と同じ四股名は珍しく、今後は新大関霧島の活躍とともに、霧島の名が全国に響き渡ります。霧島市としましても、このことを絶好の機会と捉え、9月場所で霧島市の懸賞旗を出すことにしました。
関平鉱泉の特徴・シリカ含有量155ミリグラムと霧島市をデザインした懸賞旗。大相撲を見る人だけでなく、さまざまな媒体に取り上げていただき、大きくPRできればと考えています。
大関昇進後の名古屋場所では、けがによる休みもあり、負け越してしまった霧島関。9月場所では、かど番脱出はもちろんのこと、優勝目指して頑張ってもらいたいです。そして、親方が届かなかった綱取りに向けて、さらに精進していただければと思います。見ることも少なくなっていた大相撲、今は取組が待ち遠しいです。
大きな祭りとして、県内でも先陣を切って4年ぶりに開催された霧島国分夏まつり。6千人を超える踊り連、勇壮な国分寺神輿など、夏の風物詩を多くの人が待ち望んでいました。
例年、山見せの際にはたくさんの水をかけられるので、今年は耳栓を用意していたのですが、あまりの人の多さに水をかけられることも少なく、耳栓は不発に。フィナーレの花火は無事に大輪を咲かせ、2日間、本当に多くの人でにぎわいました。特に若い世代が多かったところに、霧島市の地力を再確認しました。
翌週は溝辺のグリーンエアポートフェスタや隼人駅前祭りなどに参加。どの祭りも、コロナ前よりも多くの人でにぎわっていました。今後も、それぞれの地域や企業の夏祭りなどがまだまだ続きます。いろいろな夏祭りがあるのも霧島市の魅力です。ぜひ皆さんお出かけください。
実は、霧島国分夏まつりの前の週に、野口地区の枝宮神社の六月灯にも参加。久しぶりに地元の皆さんと杯を傾けました。
新型コロナウイルスの感染症法上の位置付けが2類から5類に引き下げられ、以前の生活スタイルが戻ってきました。私も6月に入ってからは、病院に行くなど配慮が必要なときを除き、日常の場面ではマスクを着けていません。最近は出張も多かったのですが、東京などでも外している人の割合が高いような印象を受けました。
そのような中、気になることがあります。テレビなどでインフルエンザの感染拡大が報じられていますが、霧島市も例外ではありません。特に小学校を中心に感染が拡大し、学級閉鎖や学年閉鎖を行う学校が増えてきました。コロナ下になってからインフルエンザワクチンの接種率が低下したことなど、さまざまな要因が複合的に関連して、学校での集団感染につながっているものと考えられます。
新型コロナであってもインフルエンザであっても、周りで感染症の流行が見られる場合には、これまで続けていたような、小まめな手洗いなどの感染症対策をお願いします。
市内での交通事故による死傷者数は、平成25年の1063人から、令和4年は357人にまで減少しています。物損事故を含めた交通事故総件数も、3814件から3402件へと年々減ってきている状況です。
これもひとえに、普段から交通安全に携わっていただいている皆さんの長年のご努力のたまものであり、その成果として、交通事故を起こさないという、運転手や歩行者の意識が高まっているものと深く感謝します。
しかし今年に入り、昨年同時期と比べて死傷者数、事故件数ともに増加の一途をたどっています。交通事故が増加している状況を受けて5月、交通安全に関係する団体や霧島警察署、そして市を含めた7団体で霧島市交通安全懇話会を立ち上げました。
新型コロナによる行動制限が徐々に解除されていく中で、人の流れもだいぶコロナ前の状況にまで増えてきましたが、交通事故の数は減り続けるように、皆さんと一緒に取り組んでまいります。
3大会ぶり3度目の優勝を飾ったWBC、侍ジャパンの活躍に日本中が歓喜しました。中でも注目を集めたのが、ペッパーミルパフォーマンス。「小さなことからコツコツと続けていれば、良いことが起こる」という意味が込められているそうで、なるほどと感心したところです。
ところで我が家には、コーヒーミルがありませんでした。理由は単純で、私がコーヒーを飲まないから。しかしコーヒー好きの妻からは、早くミルが欲しいとせかされていました。
この広報誌の読者プレゼントでもお世話になったことがある、横川町に本社を置くジャパンポーレックス。同社のコーヒーミルの性能は折り紙付きで、買うならそれをと決めていたのですが、タイミングを逸してきました。
先日、満を持して同社のミルを購入。その性能の良さに妻も大満足だったようですが、誕生日まで隠しておけばよかったと後から少し後悔。本市には優れた産品がたくさんあり、誇らしく思います。
思っているよりも多くの皆さまから、このコラムについて声をかけられます。「腰はもう大丈夫か」「ジムはどこに行っているの」など、前回もたくさんの反響がありました。意外とリクエストが多いのが、私の子どもについての話。そこで今回は息子の近況を報告します。
妻の実家を訪れた際、かもいをくぐるたびにかがむ必要がある息子は、とっくに私の身長を追い越しています。170cmちょっとの私に対して、息子はおそらく185cm以上。上から見下ろされるようになり、高い所の作業は息子の役割になりました。
実は生後40日で心臓の動脈管開存症の手術を受けた息子。息子に追い越されるのも父親の喜びという話を聞いたことがありますが、少しだけ分かってきました。ですが、私と腰の高さと指の長さがここまで違うと、ちょっと複雑な思いです。
新年度になり新たな生活が始まる人もいると思いますが、息子もいよいよ受験生。身長とともに成績も伸びるようハッパをかけます。
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