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更新日:2023年4月1日
空港があるまち霧島市。アクセスの良さと充実した練習環境や宿泊施設を求めて、今春もたくさんのスポーツチームが国内外から本市に来てくれました。
サーカーJ1に昇格したVファーレン長崎をはじめ、J2の大分トリニータ、J3の藤枝MYFC、韓国からはKリーグのFCソウル。女子ソフトボールの太陽誘電、社会人野球の新日鐵住金かずさマジックなど、トップアスリートの練習を間近で見ることができる絶好の機会となりました。
そうした中、FCソウルから社会人チームと練習試合を行いたいとの要請があり、急きょ、昨年の市長杯サッカー優勝チームを中心としたメンバーに召集がかかりました。アジアチャンピオンズリーグにも出場する強豪チームとのまさかの対戦。感激したメンバーはプロを相手に必死にグラウンドを駆け回っていました。
キャンプ中、多くの子どもたちが練習を観戦。かごしま国体やオリンピック、サッカーワールドカップなど、国内外で活躍する選手が誕生することを期待します。
1月7日は子どもの無病息災を祈る七草祝い。私も長女が七草のお祝いでした。当日は日曜日。ちょうど午前中に公務がなかったので、朝から娘の着付けを見守りました。
早起きをして、まずは美容室で髪の毛のセット。そして着物の着付けです。女の子の節句のお祝いは本当に大変ですね。男三人兄弟で育った私には、ここまでとは想像できませんでした。
着付け後にお宮参りをして千歳飴を頂き、それから七草がゆをもらう訪問がスタート。最近は七草がゆを作る家庭もそう多くありませんので、おらかじめお願いをしておいた親戚を7軒回りました。その後、予約しておいた写真屋さんで記念撮影。着物を着てはしゃいでいた娘も、写真撮影の時にはすっかりすまし顔でお姉さんになっていました。
次は七五三、そして成人式でしょうか。その次は…。うれしいような複雑な気持ちです。
七草祝いは薩摩藩の時代から続く鹿児島の伝統行事。これからも後世に残していきたいものですね。
11月4日、ロシアで第1回世界硬式空手道選手権大会が開催されました。この大会に日本代表として出場し、見事に優勝した牧之原小学校4年の四元志桜里(しおり)さんがご両親と市長室へ優勝報告に来てくれました。
昨年4月の日本硬式空手道選手権大会では、女子小学4年の部で圧倒的な強さで2年連続優勝。世界大会では10~11歳の32キロ以下級に出場。世界15か国から集まった20人のライバルを相手に勝ち抜き、国際大会初挑戦で初優勝を飾りました。
強さの秘訣は空手を始めた7歳のころに味わった「負け」。以来、週1回通う道場以外に、自宅の車庫を改築したお父さんの手作りの練習場で毎日練習に励んでいます。
将来の夢を聞くと「プロボクサーとして世界一」と断言。優勝の激励をするつもりが逆に勇気と元気を頂きました。「負け」て味わった悔しさを糧に努力してつかんだ世界一。次の「世界一」に立ち向かう志の高さと、その夢を支える家族愛。心から感動しました。おめでとう、志桜里さん。
平成17年11月の霧島市誕生から、3期12年にわたり市長として霧島市のかじ取りをさせていただきました。1市6町の一体感の醸成に努めながら、年中無休、エンジン全開で市民が主役のまちづくりを市民の皆さまと一緒になって進めることができました。まずもって心より感謝申し上げます。ありがとうございました。
振り返りますと、新燃岳の歴史的な噴火や豪雨災害など大自然の驚異と真正面から向き合い、市民の皆さまの生命と財産を守りながら、鳥の目線による広域的な視点と暮らしの視点の両面から、霧島市のスケールメリットを生かしたまちづくりに努めてまいりました。
魅力あふれる霧島市の発展のために、市政にいっときの停滞もあってはなりません。若い中重真一市長の行動力と柔軟な発想で、霧島市がさらなる発展を遂げられるよう、今まで以上の市民の皆さまのご支援とご協力をお願いいたします。
まちをつくっていく主役は市民の皆さまです。霧島市のさらなる発展を願い、感謝の言葉といたします。
新燃岳が約6年ぶりに噴火しました。直ちに災害警戒本部を立ち上げ、現地調査を行いながら関係機関と連携して対応しているところに台風21号が接近。衆議院議員選挙の投開票事務も重なり、台風接近に備えた避難所対応の準備を同時に進めました。台風は大きくそれ、幸いにも大きな被害はありませんでした。
新燃岳は噴火警戒レベルが下がるまで緊張感を持った対応が必要です。規制区域外のほとんどのホテルや旅館などでは、いつもと変わらず温泉や豊かな食などを楽しむことができます。正しい情報を発信し、風評被害対策を強力に進めてまいります。
市長就任以来、新燃岳や硫黄山などの火山活動、時間雨量120ミリを超す集中豪雨や台風による災害、鳥インフルエンザや口蹄疫など、大自然がもたらす驚異と正面から向き合ってまいりました。市長の責任は重いものがあります。防災対策はいっときも空白や停滞があってはなりません。今後も覚悟を持って危機管理に万全を期してまいります。
宮城県で開催された5年に一度の「全国和牛能力共進会」で鹿児島県が見事に総合優勝しました。県代表の霧島永水の園田義昭さんが3席、JAあいら肥育センターが2席と総合優勝に大きく貢献されました。農家や農協の皆さまのご努力はもちろんのこと、和牛改良組合や家畜人工授精師、行政などが一丸となった努力が実を結びました。関係者の皆さまを大いにたたえたいと思います。
この大会は経済効果も絶大で、5年前の長崎大会は110億円を超しました。5年後は鹿児島大会です。私は早期から本市への大会誘致に取り組み、牧園町での開催が決定しました。オール霧島で大会の成功に向けて万全の準備をしてまいります。
一方で課題もあります。人気の高い松坂牛や近江牛、神戸牛などのブランド牛に対して、鹿児島黒牛や宮崎牛の人気は必ずしも高くありません。苦労を重ねて勝ち取った品質・日本一の称号。鹿児島黒牛の人気も日本一にしていくための新たな取り組みが始まります。
国勢調査の結果を基に、本市が独自に調査した20歳以下の市民の割合は、県内で最も高い21%という数値を示しました。本市では、霧島市ふるさと創生総合戦略に掲げました2060年の人口目標13万人達成に向けてさまざまな政策を進めており、企業誘致もその一つです。
職員と一丸となり、トップセールスを繰り返して誘致が実現した日本郵便の「鹿児島郵便局」が、ゆうパックや郵便物を取り扱う南九州最大の郵便・物流拠点として8月14日、隼人地区の小田工業団地に開局いたしました。鹿児島中央駅の隣にある鹿児島中央郵便局の集約や配送の機能が全面移転したもので、従業員数は約350人。うち新規雇用者は約180人にも上り、合併後最大規模の雇用創出となったことから、本市の発展にさらなる弾みがつくものと期待しているところです。雇用があるということは人が住み続けるために必要な条件です。「働けるまち霧島市」のため、エンジン全開でさらに努力してまいります。
第38回霧島国際音楽祭が今年も盛会のうちに幕を閉じました。この音楽祭は若い音楽家が海外に渡航しなくても一流の講師陣からレッスンを受けられるようにと、国内の著名な音楽家たちが尽力。ドイツの音楽家で故・ゲルハルト・ボッセ氏を霧島に招き、昭和55年にホテルなどで講演会を開催したのが始まりです。
レッスンの成果を発表しようと演奏会も開始。地元では音楽祭の友の会が結成され、練習ピアノの提供やランチのおもてなしなど、物心共に支えます。次第にその活動は音楽専用ホールの建設運動に発展。県議会議員に初当選した私の最初の一般質問は、この要請から始まります。「出来ない」という県の方針を粘りに粘って建設にこぎつけました。まさに地域力で建設した「みやまコンセール」です。
音楽祭期間中は国内外から約2万人が訪れ、経済波及効果も絶大。世界に誇れる鹿児島県の自慢の一つです。2年後は40回を迎えます。主催者の県知事に「力を合わせて今から準備しましょう」と要請しました。
皆さんはえびの高原のエコミュージアムセンターに行かれたことがありますか。世界ジオパークを目指すナショナルパーク「霧島」の火山の歴史や稀少な動植物の紹介など、霧島山の魅力を学べる環境省の施設です。高千穂河原には県立のビジターセンターもあります。これらの施設で最新の火山情報などを確認し、登山届を出して登山を楽しみましょう。
霧島山の植物は6年前の新燃岳の歴史的噴火から再生しつつあります。そのダイナミックな地球の活動を目の当たりにできる、世界でも大変貴重な場所です。
この春、私もミヤマキリシマの開花時期に合わせ、鹿ヶ原、高千穂御鉢、大浪池、韓国岳と4回の登山を朝食前に楽しみました。命を絶やすまいと懸命に咲く愛らしいツツジを愛(め)でながら、登山道で行き交う全国からのお客さまとお話をさせていただきました。霧島山の魅力を再認識するとともに、登山道の危険箇所などのご指摘もありましたので、早速、管理者の県に対応をお願いいたしました。
今年は桜と同様、和気公園の藤の花も開花が遅れました。ゴールデンウィークに満開となり、14回目を迎えた藤まつりは過去最高となる47,270人の人出でにぎわいました。
和気公園の藤は、今から17年前、私が県議の頃、岡山県和気町から頂いたものです。全国から集められた藤の名木を当時の藤本道生町長に懇願し、和気清麻呂公のご縁により分けていただきました。箸の太さほどの苗木23種類、約100本を地域の仲間たちと植え、4年後の平成16年から藤まつりを開催。主催団体の犬飼滝和気公園未来会議は、花が終わると一房ずつ丁寧に切り落とし、堆肥を与え栄養が幹に行き渡るように気を配ります。真夏の日差しにもめげず草刈りをし、秋には虫が宿らないように落葉を掃除。冬は枝の剪定や消毒を行い、春先には枝振りの調整をするなど一年を通して管理されています。
ふるさとの歴史を生かし、学びと情熱で美しい藤の花を咲かせ、魅力ある観光地を創り出して来訪者に癒やしを提供しています。
霧島市では、まちの魅力を市民と一緒になってつくり、情報を発信するシティープロモーション推進事業に取り組んでおり、このたびその戦略プランを策定いたしました。
策定に当たり、市内外の皆さまに行ったアンケート結果によると、霧島市の魅力は「自然豊かな中山間地域と『ほどよい都会』の市街地のバランスがいい」「疲れ切った体と心を癒やす力がある」という意見を多くの方から頂きました。このことは、西郷隆盛や小松帯刀、坂本龍馬と妻お龍が湯治で滞在していたという史実の通りです。
しかし、現在の霧島市の観光客はほとんどが日帰りか一泊です。疲れた体と心を多種多様な温泉で癒やし、豊かな食を楽しむうちに霧島市のファンになり、連泊、リピーター、気が付いたら移住して市民になっていた、そのような人の流れを作っていきたいと考えています。
「霧島市は良かよ。遊びにおいで。またおいで。ここに住もうよ。」このような市民の皆さまの一言が人口増につながります。
国分・隼人の市街地の慢性的な渋滞は、合併前からの大きな課題でした。霧島市が誕生して間もなく、渋滞の緩和とまちの一体感をつくるため、母なる「天降川」に隼人町住吉と国分福島を結ぶ新たな橋を架けることを決断しました。
市議会や市民の皆さまのご理解をいただき、国や県などのご支援と工事関係者の卓越した技術力によって、市道橋として最長の延長277メートル、総事業費約31億円の「しらさぎ橋」が、7年の歳月をかけて3月に完成しました。
環境に優しい設計で、橋の歩道の舗装には、敷根清掃センターの焼却溶融スラグなどを利用した再資源レンガを使用しました。橋の近くには、姉妹都市の岐阜県海津市から寄贈されたマツを、川の堤防には「木曽三川千本松原を愛する会」から寄贈された薩摩義士にまつわる里帰りマツをそれぞれ植樹しました。
近くの住吉墓地に眠る宝暦治水工事の薩摩義士・山元八兵衛も、ふるさとの発展とマツの成長を見守ってくださっています。
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