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更新日:2021年10月25日
牧園町下中津川にあり、和気清麻呂(わけのきよまろ)公を祀っています。
和気清麻呂は、奈良時代末期から平安時代初期にかけて国の官僚として活躍した人物です。
769年、称徳天皇の時代、一僧侶でありながら朝廷に仕え、大きな権力を持つ道鏡という僧がいました。ある日道鏡にへつらう者が宇佐八幡のお告げであるとして「道鏡を次の天皇にすれば国が穏やかに治まる」ということを称徳天皇に申し出ました。天皇はこの神託を確認するため、和気清麻呂を宇佐八幡宮に遣わしました。道鏡は清麻呂が都を発つとき「自分のために計らえば高い官位を与える」と味方にしようとしましたが、清麻呂はあくまで忠義の心が深く、出世のために志を動かすような人ではありませんでした。
宇佐から帰った清麻呂は、「わが国は始まって以来、君(※1)と臣(※2)の別が定まっている。臣を君にすべきでない。無道のものは早く排除すべき」と当初の神託と正反対のお告げを持ち帰りました。それを聞いて怒った道鏡により、名前を「分部穢麻呂(わけべのきたなまろ)」に変えられ大隅の国に流されました。しかも、流される途中、道鏡の使者から命を狙われましが、突然現れた白い猪の群れに助けられ、大隅の国に流れ着きました。やがて天皇没後、道鏡は失脚し清麻呂も京に戻されました。この事件を宇佐八幡宮神託事件と言います。
※1 君:一国の君主、天皇
※2 臣:君主に仕える人
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