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更新日:2024年12月3日
霧島市立郷土館等施設では、毎年企画展を開催し、地域の歴史や文化の発信に努めています。
現在、企画展は開催されていません。
過去に開催した企画展をご紹介します。
霧島市内の資料館には、平成17年の合併前から様々な歴史・民俗資料が収集・収蔵されています。資料は各館で展示され、地域の歴史・文化や、昔の暮らしなどを伝える役目を担っています。
しかし、そんななかで長年収蔵されたままでなかなか展示できていないものが多くあります。また、一見すると何に使うのかわからないものもたくさんあります。展示という光が当たる場所ではなく、収蔵庫で眠っていたモノたちである「光らない君」。そんな「光らない君」たちに光を当ててみようというのが本企画展です。地域の特徴がわかるものもあれば、一見するとなんだかわからないものもあります。
霧島市内には神様のお墓とされる高屋山上陵、霧島神宮、鹿児島神宮など、神話伝承地が多くあります。なぜ、霧島にあるのか、どうして霧島の地に決まったのか。たどっていくと、薩摩藩の学者たちの姿が現われます。鹿児島大学附属図書館所蔵の貴重書(玉里文庫)と隼人歴史民俗資料館所蔵の展示を通して、神代三山陵と鹿児島神宮の成立について紹介。
霧島市には2つの「神宮」があります。その2つの神宮社殿が国の文化財として高く評価され、霧島神宮社殿が国宝に、鹿児島神宮社殿が国の重要文化財に指定されました。両神宮の社殿のすばらしさや特徴について、写真で細かく紹介。
令和3年は、隼人が養老4年(720)に朝廷の支配に抵抗した戦いが集結してから1300年、3月3日は隼人塚が国の史跡に指定されて100年、さらに隼人塚史跡館が開館して20年の記念の年。
必ず1度は聞いたことのある「隼人」という存在。しかし、具体的に知る人はほとんどいないのでは?という疑問から、そもそも「隼人」とはなにかを基礎から解説した展示を行いました。
島津義弘没後400年という節目に、その兄である島津家第16代当主である義久に焦点を当てたミニ企画展を開催しました。霧島市のまちづくりの基盤を築いた島津義久に関する展示や史跡を紹介。
同時企画として、「記念物100年」展も開催。大正8年(1919)に「史跡名勝天然記念物保存法」が施工されて100年の節目の年に当たったため、霧島市にはどのような記念物があるのか、どのように保護したのかパネル展示を行いました。
明治維新を薩摩藩が成し遂げることができた背景には、山ヶ野金山から採れる金や天保の財政改革などにより、他藩に比べて経済的余裕があったからではないか。「お金」という視点から明治維新を捉えなおすことで、霧島という地域が果たした役割や、面白い歴史を見つける企画展です。